今回は初めて協力隊のことについて書きたい。
私は2017年度2次隊としてフィリピンに野菜栽培隊員として派遣された。
派遣当時私は23歳の修士課程1年生。ストレートで進級・進学してきた新卒と同年で、訓練所では最年少だった。
協力隊に参加する多くの人はその後のキャリアプランに悩む。そんな方々に身分を羨ましがられることがよくあった。
そんな「JICA海外協力隊×大学院生」がなぜ良いのか、そのあまり気がつかれない点をまとめた。
※前半には自分のこの進路選択の背景が書かれているので時間がない方は飛ばしてください。
調べてみると、「新卒で協力隊に行くことを勧める」系の記事はそれなりにヒットするが、大学院生になりながら協力隊に行くメリットを書いている記事は少ないように思う。
私の個人的な感覚では、途上国で国際協力に関わるのなら、「新卒」、「学部生(休学)」、「院生(休学または在学)」「院卒」という身分(≒学歴)の違いは、似ているようで全く違う。
私がこの記事でオススメするのは、その中でも「院生をしながら協力隊に行くこと」である。
今回は私が実際にフィリピンで活動しながら感じた、「院生しながら協力隊に来て良かった」ことも含めて、どうして「大学院生×協力隊」をオススメするのか書きたいと思う。
しかしもちろん、長所と短所は表裏一体。
協力隊をやりながら大学院生になったことを後悔したことも少しだけあったので、そのことにも最後に簡単に触れたい。
この記事が想定している読者層は、
・JICA協力隊への参加に興味がある学部生または院生
・国際協力に興味があって大学院に進学することを考えている学部生又は社会人
・その他JICA海外協力隊と大学院への進学で迷っている一般の方たち
である。
特に学部生で協力隊を悩んでいる人の背中を押したい気持ちで書いた。
少しでも参考になったら嬉しい。
目次
私が大学院と協力隊の二兎を追ったきっかけ(時間がなければとばして下さい)
私は地方国公立大学で環境科学を専攻していた。現在の大学院での専攻とは全く畑違い(実はそうでもないのだが)の分野だった。もともと大学選択の時から農学部系の方向に進むことを志していた。そしていずれは大学で備えた自然科学分野の知識を開発途上国で活かしたいという夢があった。
受験の失敗や金銭的な問題などから、実家から通える距離範囲で農学部的な学部をもつ大学ということで自然と選択肢は通った大学に限られたので、大学受験はその一校で終わった。
さて、在学中すでに国際協力の道を見据えていた私は、卒業後すぐには就職したくないと思っていた。
それは、単純にまだ働くのは早いと感じていたのもあるが、それ以上に自分には何の能力も備わっていない、このままでは社会に出ても何もできないだろう、できたとしても誰にでもできることくらいだろう、そんな不安があった気がする。
もともと勉強することは好きだったし、学部入学した時から当然のことのように進路として大学院への進学を考えていた。
しかし、2年生の後半になって具体的に進路を考えるようになった頃、壁にぶつかった。
農業と国際協力をクロスさせて働きたいという思いはすでにあった。そして、途上国のことを学びたい、そんな漠然としたイメージはあったのだが、いざ大学院へ進学するにあたってどんな分野に進めばいいのかわからなかったのである。恥ずかしながら、「開発学」という学問を知っていたかどうかも覚えてない。知っていたとしても、学部で学んだことが一ミリも使えず、完全に性質が異なる文系の分野にシフトする気にはならなかっただろうと思う。また、「開発」という言葉に対してはネガティブなイメージすらあった。
そのまま在学していた学部からエスカレーター式に大学院に進学するのが一番簡単だった。幸いにも卒論ではJICAのプロジェクトの一環でネパールの水処理に関わる研究のほんの一端に関わらせてもらっており、その恩恵に預かってネパールにも複数回渡航した。そのまま進学も魅力的だったしやりがいもありそうだった。当時の先生にもそのまま院進学することを強く勧められた。
だが、その方向に進学すると、自分の強みにこだわるのならば私の将来から「国際協力」とか「途上国」は消えて、環境系のいわゆるプラントとかエネルギーとか水処理とか、そういう分野に限られた働き方になるように思えて仕方なかった(今思えばその方面をもっとちゃんと突き詰めておけばまた違った意味で、それもかなり需要のある開発の専門家になれていたかもしれないと思う。当時の自分はそこまで見られてなかったしどこか焦りすぎていたと記憶している)。
そうこう思案しているうちに、何を学んだらいいかわからないのなら、「途上国に行って、自分の目で見て、そこから大学院で学びたいテーマを探してこよう」と、わからないことをイメージもできない文献情報からわかろうとせず、自分の目で見てこようという気持ちが強くなっていった。
その思いが私を東南アジアバックパッカー旅だったり、JICAが実施しているスタディツアーだったりへ誘った。
関係ないが、旅の間に東南アジアに魅せられたのが、フィリピンの北ルソンの棚田の風景だった。
それから旅を繰り返したり、研究分野で活躍する人と会ったりしながら次第に、東南アジアの自給自足的な暮らしが営まれている農村の農業を学んでみたい、むしろ東南アジアの農業には伝統的な技術がたくさんあって、日本が学ぶべきことも存在するんじゃないか、そうだとすれば自分が発見した彼らの技術によって東南アジアの農村の人たちに光が当たるんじゃないだろうか、なんて漠然と思うようになった。
今思い返せば、色々とリサーチが全く足りていなかったことは否めない。。だが、わからないなりに気持ちだけは強かったように思う。自分に納得できる理由を提示しないと動けないのが私の悪いところでもある。
そこで、もっと東南アジアの農村の状況を知りたい、その方法はなかろうか!!と探していた時に出会ったのが青年海外協力隊制度だったのである。
つまり、私はこの制度を自分の今後の興味関心を見つけ出す機会としてはうってつけと捉えた。途上国もそのさらに農村部で、生活費を支給されながら2年間も滞在できるなんて、これ以上ないありがたい制度だった。
以上のような気持ちの変遷を経て、私は学部卒業後の第一希望の進路として青年海外協力隊を考えるようになった。これが3年の始めくらいだったと思う。
繰り返すが、その時点で、おそらく多くの隊員にとってもそうだろうが、青年海外協力隊は私にとってゴールでもなんでもなかった。そして、「国際協力をするため」でもなかった。ただ単純に、もっと途上国の現状を身近で、体で学んで、あわよくばそこから研究テーマを抽出して日本に持って帰ってやろう、自分の進路はむしろそれからだ、という思いが強かった。だから、協力隊の合格通知はそこまで喜ぶことでもなかったと記憶している(それに対して、大学院の合格には涙した)。
しかし、それからまた運命の出会いがあったのである。
この方も協力隊のOVで、現在アマゾンの民族を研究している人だった。
その方に言われたアドバイスがこうだった。
「何も【協力隊→大学院】と順を追って考えなくてもいいかもよ。そもそもフィールドワークに重きを置く分野もあるし、今の時点で東南アジアの農業を学びたいという気持ちがあるのなら、大学院に入って休学していくという手もあるんじゃない?そういうことを歓迎する先生知ってるから名前教えてあげるわよ。」
そこで教えられたのが、業界では変わり者で有名な今の私の指導教官である。
そこで私は「地域研究(エリアスタディーズ)」という分野を初めて知る。おそらく私のような理系の学生にとってはあまり馴染みのない分野だろう。私もそれまで聞いたことがなかった。
話は一転するが、協力隊の活動は、その後活動の形が残らないことがほとんどだ。
私もそれを知っていたし、なんだかそれが勿体無い気がしていた。一人一人の活動はしっかり保存・共有されるべきだと考えていた。活動自体失敗してもいいし、現地の人や後任ボランティアに引き継がれなくてもいい。しかし、隊員としてやったことそのものを後世に伝えることにはきっと意義があると思っていた。それがJICAという組織内に限ってしまうからボランティア事業がやれ税金の無駄遣いとか言われたり、何かと国民の理解を得られず誤解を招いたりということが起こるのである(JICAにとっては漏らしたくない情報ばかりということはもちろん承知している)。
それがなんと、大学院生として協力隊に行けば、自然と論文という形で活動が残ってしかも修士号ももらえる、という話だった。しかも、地域研究の切り口は分野横断型で学際的。情報はフィールドで取ってくることが伝統的アプローチだし、地域研究には自然科学分野を交えた方が好ましいとされるのが日本の地域研究の先駆者達の考え方でもあった。
私はそれは面白い!と思い、大学院の入試対策を大急ぎで始めたのである。
ここまでを整理すると、私は国際協力の現場を見たいという思いから学部卒の協力隊志望だった。しかし、活動しながらデータ集めができる、活動そのものが研究になる可能性もあるということを知って、今在籍している大学院への進学も考えるようになったのである。
両方の受験を終えて、たまにこう言われることがある。
「協力隊と大学院入試の両方の対策を同時にすること難しくなかったですか?」
この質問に関しては以下の勧める理由のところで書くので読んでみてほしい。
「JICA協力隊×大学院生」を勧める理由(経験から)
その前に前提条件
以上の話が私の「大学院生×協力隊」人生への入口となったわけであるが、このような例には当てはまらない人も多いし、全員に勧められるものでもない。
私も今でこそ思うが、あのまま学部直結の院に進学した方が専門性が磨かれ、行く末はより力のある「国際協力師」になれたかもわからない。特に理系の分野から国際協力を考えている人は、いきなりフィールドに行くよりも基礎力や基礎研究を通して能力を磨くことの方が重要だということもあるだろう。
そこで、私の経験が参考になり得る人は以下のような人になると思う。
それは、
大学院での研究分野がまだ絞れていないけどいずれは途上国に関わる仕事をしたい
という、いってしまえば突き詰めたい分野がわからない、だが逆に可能性の塊のような方々である。
そういう方に、「それ、一度に両取りスタートできるかもよ?」と伝えるのがこの記事の趣旨である。
協力隊の選考試験と院試どちらも受かりやすくなる
まず多くの人が気にするであろう、協力隊と大学院の試験対策の両立ができるのかという問題に私の見解を示したい。
結論から言うと、「協力隊と大学院進学の道は、両者を追うことでお互いに様々な意味で補完し合い、両方合格する可能性が高まる」と私は考えている。
二兎を追うもの一兎を得ず、ではなくまさに一石二鳥になるということを伝えたい。
協力隊受験に際して
まずは協力隊の受験に際して。
特に職業経験が足りない新卒や学生にとって、協力隊の選考の段階ではこれといったアピールポイントがないのが普通だと思う。何かあったとしても、東南アジアやアフリカを旅した経験があるとか、サークル活動で国際協力をしていたとか、だいたいがその程度である。社会人経験を経たり資格を持っていたりして技術の備わったプロフェッショナル集団に比べると、どうしても魅力的なアピールポイントに頼りない。
しかし、そこで自信をなくす必要は全くない。
反対に、私たちの強みとなるのが、これまでの経験ではなく、これからの将来になるはずだ。
技術がない、それならば協力隊に行ってから身につければ良い。
経験がない、それなら協力隊で詰んだ経験を社会還元していけば良いのであって、それの自由度はまだ社会で職業経験を踏んでいない私たちの方が幅広い。
協力隊経験をどう自分の人生、日本、そして国際協力の分野で活かしたいのか、それを自由に、声高に言えるのが私たち。
そこで「大学院への進学を検討し既に受験している」とか、または「すでにその関心分野で在学している」というのは非常に説得力がある。
ところで、協力隊の選考では、「帰国後何をするのか」がよく問われる。
協力隊制度の目的の三つ目は帰国後の社会還元だし、今後の帰国隊員にはその部分がより一層期待されてくるに違いないと思う。
協力隊受験時点で考えている帰国後プランは活動の色としても出てくる。
大学院への進学は、今でも帰国隊員の1つのメインストリームでもあるが、協力隊で見た現場をアカデミアで学問的に考え直し、なかなか表に出づらいフィールドの状況を研究分野で取り扱い、または、自分の活動を客観的に評価し、世の中に持ち上げるということは、社会的にも学術的にも大変意義のあることだし、今まさに求められている傾向でもあると思う。
また、国際協力の分野で働くためにはいずれ修士号や博士号といった学位が必要になってくるのも、ある程度共有された価値観だし前提条件でもある。進学という進路はそういう意味でも、これからも国際協力の舞台で活躍する意志・決意がありますよ、という意思表示にもなるわけだ。
大学院受験に際して
次に、大学院の受験に際してだが、これは分野や研究科、もっと言えば担当教員個人によって特徴があるので、的を射た話になるかは読者の方々に判断いただきたい。だが、今後途上国をフィールドに研究したいという方々には一定程度分野を問わず共通しているのではないかと思う。
まずここで紹介したいのが、JICAと大学院の連携化が進んでいるということ。
(追記!!)協力隊特別枠のある大学院最新情報!!
具体的に名前をあげると(今後の継続性については不明だが)、教育の面では東京学芸大学大学院とJICA海外協力隊制度には連携があり、この制度を使って学芸大院に入学するとJICA協力隊に行くことが必須条件になるらしい。
その代わり、JICA協力隊の選考では考慮されるためそちらで落選することは滅多にないと聞く。
同様の連携は広島大学大学院にもあるようだ。
農業や農村開発の面では、東京農業大学とJICA協力隊制度の連携が進んでいる。東京農業大学はこれまで多数の学生を排出してきており、相互の密な関係性が構築され連携が進んでいる(詳しくはこちらを参照)。
その他の大学院にも同様の連携がある可能性が高いので、ご自身で各大学に問い合わせてみていただくと良いと思う(JICAと大学の連携についてはこちら)。
また、連携制度を使わなくても休学または在学したまま協力隊に行くという方法が大学院で歓迎されるケースも多いと思う。
途上国での研究には当然、まとまったお金がかかる。大学としては管理責任が問われるためセキュリティ面もしっかり対策しなければならない。大学院で一学生にそのための資金と制度的補助を提供することは、特別な学生支援制度を持っていなかったり、研究室自体が何か大きなプロジェクトに関わっていたりなどの特別な状況を除けば難しい。多くの学生がアルバイト等で自腹を切って調査に行っているのが実情だろう。
大学院側もそこは歯がゆい思いをしているはずだ。学生のためにも、大学のためにも良い調査をするためにはどうしてもまとまった期間現地に行くことが必要になる分野も多いからだ。
そこで歓迎されるのが、お金も滞在先も安全面もパッケージで提供されている協力隊員になる。大学院や教員にすれば、お金がついた学生が入学してきてくれることはまず歓迎するはずだ。
例えば、日本で国際開発学を学ぶなら東大、名古屋大、神戸大、広島大が強いと言われるが、私の知り合いには名大の国際開発研究科から休学して協力隊に参加している人も複数いる。日本福祉大学にも魅力的な先生が揃っているし、オンラインで履修することができる。また、開発というよりは途上国の地域社会そのものに興味がある人には、京都大学大学院のアジア・アフリカ地域研究研究科が勧められる。ここでは、アフリカや東南アジア地域、中東などの“地域”を理解するためにフィールドワークに重きを置いており、在学したまま協力隊に参加する人もいるし、帰国隊員も多数在籍している。これらの分野であれば、大学を問わず、フィールドに行くことが重要視されるので歓迎されるはずだ。
さて、協力隊と大学院のダブル受験が互いの関所を抜ける際に有効になることを伝えているが、大学院受験に際して最も大事なことは、受験の前に指導を仰ぐ教員の理解を得ておくことである。
指導教官がフィールドワークの重要性や協力隊制度に理解がないと背中を押してもらうことは難しいだろう。中には協力隊のOVで大歓迎してくれる先生もいれば、協力隊制度に対して懐疑的な先生がいることも間違いない。それは勉強する分野にも関係してくるはずだ。(この辺は少し調べてみればある程度予想がつくと思う)
大学院受験では、受験前に研究課題や関心ごと、そして入学後の研究プランなどの点をしっかり先生と話し合っておかなければ、どんなに入試で高得点が取れても落とされることも多いと聞く。逆に、先生の後ろ盾を得ておけば、あとは受験する専門科目と英語の試験に集中するだけでほとんど問題ないはずだ。
私の場合このように、
大学院受験の際は、「協力隊に行くので現場感を身につけて研究できます」というようなことを言い、
協力隊受験の際には、「帰国後大学院に復学し、協力隊活動を学術的に考え直し、その後の日本の国際協力の一助となります」というように、
聞こえのいい言葉で相互のユニークさを売りに使って両方で合格を得た。でなければ、協力隊はともかく今在学している大学院への合格はできなかったと思う(面接はボロボロだったから)。
学費問題がおおよそ片付く
当然のことだが大学院への進学には、まとまったお金がかかる。無い袖は振れない。
私は幼少期から常に経済的な問題がある家庭で育ったため、この問題は大学院進学の際に限らず常について回った(ちなみに私は高校の時からすでに社会福祉協議会にお金を借りて進学しており、それ以降も親からは一銭も学費に値するものはもらっていない。学部時代は実家通学だったので自分の分の食費を家庭に振り込んでいた)。
私にとって大学の学費とその間の生活費問題を一挙に解決してくれるのが、協力隊制度だった(ありがとう、国民の皆様)。
JICAから支給される生活費や帰国後手当などの規定に最近変化が多いので、ここでその額を書いても間違った情報になってしまうかもしれない。この手の情報を書いたブログ記事はたくさんあるので、ぜひ、協力隊の任期中にいくら日本の口座に振り込まれるのか、最新の情報を調べてみてほしい。ちなみに私の時は、帰国後の社会復帰支援として毎月55,000円が日本の口座に振り込まれた。生活費は現地で別で支給されるので、この額はそのまま帰国後の私生活に使える(今実際私はこれを崩して生活している)。また、これとは別に帰国前に70万円程度のまとまったお金も振り込まれる。
親が学費を出してくれる家庭にとって学費問題はかすり傷かもしれないが、学部から大学院に進学するにはアルバイトと奨学金という借金にフルに頼るしか方法がなかった私のような学生にとってこの制度は救いの手そのものだったと言える。生活費のかからない現場生活2年間(しかも安全面は保証されている)と、公立大学だったら約4年間分の学費相当をもらいながら研究するためには、私の知る限り協力隊制度を使うしかない。
国際協力の現場に学問的予備知識を持って臨むことができる
グループ派遣や特別な連携関係がない、一般の青年海外協力隊の活動は、隊員個人のポテンシャル、能力、そして配属先との相性や配属先のやる気にかかっている。もちろん、JICA事務所のサポートも欠かせない。様々なステークホルダーとの関係づくりや、彼ら彼女らから力を借りてこられる、ということも広い意味で隊員の能力になると私は思う。
その中で、自分の行う活動内容に対して多少なりとも学問的な予備知識があれば、活動へのアプローチは一気に広がるに違いない。
「現場に行ってから現場で学べばいい」、「日本で学んだ予備知識なんて現地では通用しない」、そういう一面ももちろんあると思う。確かに、予備知識は自分に色眼鏡をかけたり変に「エリート目線」にしてしまいがちだ。
そこはしかし、トレードオフではないと私は思っている。予備的知識があれば観察眼も鋭くなるし、現地の人やカウンターパートに根拠を持って何かを説明できる。活動の幅を広げるために非常に役に立つ。
例えば私の場合は、日本で大学院にいる間に参加型開発手法という全く学部時代からしたら畑違いの分野の文献を読み漁ることで多少の予備知識として蓄えてフィリピンに行けたことで、活動も広がり深められたし、その後の研究にもとても役に立った。その知識を使って農業省の役人やフィリピン大学の農学部の先生とも議論ができた。
このように、大学院に籍を置くことになる場合自然と周囲から強制力が働くため知識のインプットに忙しくなる。これは日本にいても任地にいても同様だし、そのインプットが現地で役に立つことも多い。
しかし、こうは言うものの私は隊員にとって一番大事な素質は予備知識ではなくやはり現地の人との人間関係構築能力や、現地の人の生活や文化を敬いそこに関わっていこうとする体力や姿勢だというふうに思っている。
理論と実践の両方が鍛えられる
このことはもしかしたら分野違いの人にはあまりピンとこないかもしれないが、私の研究している分野(開発学関係)では、大学院として研究(調査)しながら協力隊として現地で活動するということは、「理論と実践の架け橋」になれる可能性があることを意味している。
「理論上は….だけど、現場では◯◯◯だった」というすれ違った議論を聞いたことがある方は多いだろう。こんな事例が、途上国の田舎にはたくさんある。なぜなら、世界に影響力を持った途上国研究者らはそのほとんどが先進国を中心とした海外の人物であり、その視点には現場目線の情報が抜けることが往往にしてあるからだ。
目についたこういった問題に解決志向で取り組む過程、それはもう立派な研究(アクションリサーチ)になり得る(研究というのは、ただのデータ集めだけではないのだということを、入学してから知った)。
多くの研究者は他の研究や事務作業等が忙しいため、一つの研究に長時間かけることはできない。それが途上国であればなおさらである。
それが、隊員ならできる(かもしれない)のである。
また、「任国は〇〇政策をとっているけど、田舎での現状は△△で、問題は××にある」、というような矛盾は、日本政府と任国政府の合意のもとに送られた協力隊だからこそ見えるものでもあるかもしれない。それを研究という形で突き詰めて一つの主張として世に出していくことは意義深いことではないだろうか。
理論をある程度習得していて実践者でもある、いわば中間的な役割を持った人材には、グローカルな視点が求められ、鋭い観察力と思考力が必要になるそのような人材は今求められていると思う。
そうではないとしても、専門家志向でも実践者志向であっても双方を切り離すことは絶対にできない。
理論の積み重ねと正しい実践の両輪で社会課題は解決へ向かう。
任国の人から信頼される
これは多くの人にとって盲点かもしれない。しかし実は、「大学院生×協力隊」が持つ最も特別なメリットかもしれないし、私が活動をしながら「院生でいて良かったな」と思った最大の理由だ。
多くの隊員は地方の行政組織に配属され、政府の役人と一緒に仕事をする機会が多い。たとえそうでなくても、活動の中で役人と接する機会は多く、大臣レベルと話すチャンスも何度もあるだろう。そういった政府組織のスタッフとの接触で生きてくるのが、肩書きとしての「院生」だ。私は、まだ修士なんて名乗れないことを承知の上非常に勝手に「修士過程在籍」を活用した。
途上国は、どこか日本以上に学歴重視社会的なところがあり、修士号や博士号はごく限られた人が取れるものである。「マスター」や「ドクター」という響きは強力なように思われる。
日本では博士号を持っていてもあまり重宝されず(それどころか一般企業からは煙たがれる傾向らしいが)ポストや職探しに苦労するが、例えばフィリピンの田舎で博士を持っていれば(そんなことはまずないが)それだけで畏敬の目で見られる。
そもそも、途上国では学部を出てそのままストレートで修士号に行く人はかなり少ない(と思う)。
一度社会に出たりインターンを積んだりしてお金を貯めてから大学に戻り、学位を取るという流れが主流だ。そんなところで、すでに隊員として活動しながら大学院に若いうちに通い始めているということが知られれば、それだけであなたは優秀とみなされ、リスペクトされることになる。
これは、そういう文化が強い政府系組織の中で働いていればより色濃く出現し、考えや意見を親身に聞いてもらえる関係構築の誘因にもなる。
もし修士課程に在籍していたら、任国の上司があなたを誰かに紹介する際、必ずステータスとしてあなたが修士課程に在籍している情報を含めるだろう。なぜならば、行政組織でもまだ修士号を持っていることが一般的ではないから、そこに修士号を取ろうとしているあなたがいることで配属先としての発言力が増すからである。
さらに、政府機関に活動上のこと、調査上のことを聞き取りをするときもこの肩書きは同様な理由から使える。ただのボランティアへの情報提供は面倒がっても、「学生だから教えて」と言えばみんな快く対応してくれるのではないだろうか。
これはどこかのイベントで聞いたことの受け売りだが、「学生」は最も汎用性の高い世界共通の「パスポート」だ。
このように、相手が役人の時は存分に「修士」を活用できるし、私もそれをお勧めする。
しかし、それを活動の受益者と接する際に前面に押し出すのはお勧めしない。なぜなら、かれらにとっては前述したように修士号など全く縁のない、別世界の存在のようになっていることが多いからである。受益者との立場に上下関係を作ってしまいかねない。もちろん、タイミングはいろいろあるので、信頼関係が構築されたら気にする必要はないだろう。逆にむしろ受益者と初めて接する時は、政府機関に配属された「ボランティア」の顔になることがベターだろう。なぜなら、ボランティアという存在にかれらは慣れているし身近に感じられるからである。
このような「顔」や肩書きの使い分けは、研究者や修士課程の学生という顔しか持っていない人にはできないことだ。
国際協力キャリアプランを短縮できる
ここまで読んでいただいた方は多少なりとも国際協力に興味がある方だと思うのでご存知の方が多いと思うが、国際協力の分野で働きたいのなら、必ずネックになってくるものが、修士号以上の学歴と途上国での現場経験、そして語学力である。
どうだろうか。「大学院生×協力隊」としての活動を終えれば、三要素の全てが自ずとついてくることは自明だ。修士号を取り終わった時点で協力隊として2年間活動経験があれば、もうJPO制度を活用した国連への道も射程圏内に入ってくる。
また、一つ一つのキャリアなり進学なりを考えているとギャップイヤーが生じてしまい、結果的に予想以上にキャリアを踏む中で期間がかかってしまうのはしょうがないことだが、協力隊制度を使えば、2-3年というある程度予測のできる短期間で国際協力業界で働く資格を得ることになる。
「大学院生×協力隊」であることを少し後悔したこと
基本的に後悔はしていないのだが、欲張ったことで失ったこともある。
最も悲しいのは、周りが青春を謳歌していた二本松での訓練所生活の二ヶ月の思い出があまりないことである。同期はみんないろんなバックグラウンドを持った素敵な人たちだった。その方達との交流の時間を差し置いて大学院の課題に一人で取り組んでおり、正直なところ語学の授業ですら後回しにすることもあった。そこが一番悲しく、引き換えに失ったものの中でも大きなものだったと思う。
課題に追われていたがそれでも、大学院の先生方には色々配慮をいただき、課題の提出期限を延ばしてもらったり、または軽い課題にしてもらったりしたこともあった。さらに、授業と訓練所の期間が重なったことで、7月という前期の最後一ヶ月間は全ての授業を欠席しなければならなかった。
この境遇を理解してくれる隊員はおそらくいなかったので、あまり公言していなかった。
いつも心の中ではどこか課題に追われているストレスがあったし、そのせいでノリの悪い新卒隊員として周り人の目に映っていたかもしれない。
任地ではやはり隊員として派遣されている以上、隊員としての務めをすることが責務だし、それが期待されている。私も隊員としての活動を心底楽しんでいた。前半の1年間は日記や記録をつける以外にデータ収集のようなことはほとんどしていない。しかし、帰国が近づくにつれて、「帰国したら修士課程に戻らなければいけない(≒修論を書かねばならない)」ということが心にいつもあるようになり、それが任期後半の自分の行動にかなり影響した。
土日はバイクに乗って聞き取り調査などに足を運ばせることもあったし、活動中引っかかることがあれば人に聞いたり調べたり記録したりすることに注意を向けるようになった。
なお、活動の間自分の指導教員とのコンタクトはごくわずかにしていたが、ほとんど放任状態で課題のようなものはなく自由にさせてもらった。
隊員としての活動は、あまり成果は求められない。誤解を恐れずに言えば非常に気楽である。
でも、その点が院生として参加すると変わってくる。調査しなくても、記録しなくても誰にとやかく言われることはない。しかし、それは大学院生としては非常に重要な機会を無駄にしているし、後々の大学院生としての自分の首を絞めることに繋がるので、プレッシャーのようなものはいつも心のどこかにあった。これはそんなに簡単に払拭できるものではなく、正直それだけが活動中の悩みだった。
しかし、逆に言えばそういう形で自分に鞭打って追い込めたという部分もあったかもしれない。
まとめ
今回は、院生をしながら協力隊に行くことのメリットを、自分の進路選択の背景も交えて説明した。
「協力隊」という道も、「大学院」という道も、国際協力業界で仕事をする人にとってはいつか選択肢に挙がるものだと思う。それを同時にこなすことで、もしかしたら一つ一つこなす以上の成果を生むかもしれないし、それはもしかしたら日本の国際協力業界の発展に寄与することになるかもしれない。
両方の進路がまだ残されている方は、一度検討してみてほしい。
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