隊員から見た協力隊制度の課題

 

こんにちは!

今日は、協力隊の制度的課題について、内部にいたからこそ実感したことをつらつらと偉そうに述べたいと思います。

協力隊制度の課題や問題点といっても、視点によって様々です。
今回は、「隊員にとって活動しやすい環境が築かれているか」という視点から、私が2年間で最も感じた「つながり」に関する課題に絞って書きたいと思います。
要点は、①過去の隊員とのつながり、②日本国民とのつながり、③同系の分野や職種の隊員間でのつながりの3点です。

本記事は、母体であるJICAや協力隊事業関係者に制度の是正を要求する意味で書いたのではありません。
これから任国で活動される方に何らかの心構えのきっかけになれば幸いです。
あくまでも私の個人的な視点ですので、その点はご了承ください。

まず私の背景についてですが、私は2017年度2次隊としてフィリピンに野菜栽培隊員として派遣されました。
派遣された当時は、訓練所で誕生日を迎えた23歳でした。

(協力隊に行った背景については、以前の記事で書きましたのでご興味ある方は覗いてみてください↓)

【経験者が語る】「JICA海外協力隊 × 大学院生」をオススメする理由

過去の隊員とのつながり

 

最初に挙がる問題は、任国滞在期間中に顔を見合わせることがない隊次間の繋がりが、ほぼ皆無とも言えるほどに希薄であることです。

日本の協力隊制度は始まってもう何年になるかご存知ですか?
55年以上です。
これまで4万人以上の人々が、任国で汗水垂らしながら様々な苦労をし活動してきました。

しかし、その先立隊員と今の隊員が情報共有できる機会は滅多にありません
昔の隊員は、携帯もなければインターネットなんて当然なかったので、今の隊員以上に様々な苦労をされていたことは想像できます。そんな苦労話も、今ではほとんど聴ける機会はありません。

(私は、帰国後、偶然にして私の任地で活動されていた大先輩にお会いできました。この方が活動されていたのは45年も前のことです。その時のことは↓の記事に書き殴りました。)

45年前の先輩隊員にとっての「協力隊」

そんな大昔の隊員にまでならなくても、ごく最近帰国された方とも接触する機会はほとんど提供されません。
唯一、オフィシャルに話を聴ける機会は、2ヶ月の訓練所生活中に提供される「任国事情」という授業の機会程度です。
とは言っても、「任国事情」のときの新隊員の関心は、活動よりも任国での生活にあるので、この機会は「任国生活に、よりスムーズに馴染むことができるようにする機会」としては有益ですが、「活動をよりよくする」ためのものではないですし、そもそも日本にいる段階で任国での活動がイメージできる人は、少ないと思います。

活動のための情報は、活動を始めるときに必要です。
しかし、自分の活動に関しては、人に頼ることはほとんどできず、自分でネットで掴めるだけの情報を集めて(または、ツテがある人はそれを頼って)、アイデアを絞って切り開いていくしかないのです。

なぜなら、これまで50年以上も隊員を排出してきたにもかかわらず、アクセス可能な情報源が非常に限られているからです。
任国によっては、隊員のドミトリーに蓄積された紙媒体資料などが残されているかもしれませんが、ほとんど開いている人を私は見たことがありません。
紙資料はファイリングされていても自分が求める情報を見つけ出すのは非常に困難です。まず無理です。
また、JICAに要請すれば限られた範囲内で先輩隊員の活動報告書を見ることは可能ですが、選別され提供される情報しか目を通すことはできませんのでかなり限定的です。
何より、生きたアドバイスというものをもらえません。

現代は情報化が進んでいて昔とは状況が大きく異なります。
ですが、大昔の隊員も、昔の隊員も、今の隊員も共通してぶつかる壁はあるはずです。
任国に特徴的な文化や国民性、人間関係の築き方、タブーといったものがそうです。
私が失敗したことは、多くの先輩たちも失敗してきていることでしょう。
そんな方々の失敗談を、できれば現地での活動が始まるタイミングで、言葉のやり取りをしながら聴きたかったです。

さらに、活動にまつわる少し専門的な情報もそうです。
先輩隊員が同じ国でどんな活動をし、それがどんな結果を生んだのかという情報は現役隊員にとって参考になるはずです。
当然ですが、フィリピンの野菜栽培隊員にとっては日本のベテラン農家さん以上に、フィリピンの野菜栽培隊員の話が参考になります
先輩の失敗談を聞いていれば、同じ轍を踏まずに済むかもしれませんし、成功した事例は、自分も取り入れてみようとするでしょう。
先輩と対話できる機会や、情報媒体共有方法の構築が求められると思います。
55年、4万人の歴史や経験があるにもかかわらず、一人で活動している気分になるのはかなりもったいないなと思ってしまうわけです。
そこがうまくいけば、「何もしなくて終わる1年目」を短縮できるかもしれません。

 

日本国民とのつながり

 

次は、日本国民と隊員とのつながりです。

私の周りには、国際強力に興味はあっても隊員には敢えてなろうとしない人がたくさんいます。
そして、彼らのほとんどは私なんかよりずっと優秀ですし、「協力隊になりたくない理由」を明確に持っています。
そのうちの一人に先日、「しっかりした知識を持って活動をしているJOCVをあんま聞いたことない」と言われました。
ちなみに、彼はアフリカの某国でJICAインターンを経験し、今は理系の大学院の博士課程にいます。
アフリカの食糧問題に研究者として向き合おうとしていますが、フィールド志向なところもあり、私の活動中は現地までわざわざ訪ねてきてくれました。
実は、この記事を書こうと思ったきっかけは、この彼の一言にありました。

すみません、話が脱線しました。

私は、日本の国民の多くは、この彼の言葉が示唆するものと似たイメージを協力隊に対して抱いていると感じています。
「知識を持って活動している隊員を聞いたことがない」というのは、つまり、「知識がなくても協力隊できる」であり、それは詰まるところ「誰でもできること」ということになり、究極的には、「あまり価値のないこと」とまで繋げれるのではないでしょうか。
今こうして考えてみると、私の周辺で協力隊に敢えて行こうとしない人は、当たり前ですが、協力隊に価値を見出そうと鼻からしていません。

そのイメージはどこから生産され続けているのでしょうか。
これは、私は一重にJICAの責任だと思うのですが、「日本国民と協力隊制度の間にある距離」に原因があると思います。

隊員の多くは、少しでも自分の活動を日本国民に知ってもらおうと、SNSやブログ等で発信しています。
しかし、それらの情報は、情報を入手しようとする人には届くかもしれませんが、協力隊制度に関心なんて微塵もない人には届きにくいです。
私が、大学院に通いながら協力隊に行くことに決めた動機も、この点にありました。

協力隊制度はこれまで何度となく世論で叩かれました。
民主党の事業仕分けの折には、真っ先に財源が削られました。
「協力隊の闇を暴く」と言わんばかりの暴露本も出版されています。

多種多様な人がボランティアとして途上国で活動します。
そこには、慣れない異国の環境で人間が織り成す様々なドラマがあって普通です。

私は、協力隊に対する批判論と称賛論のどちらも聞いたことがありますが、前者の方が多いイメージです。
そして、協力隊に対してネガティブな発言をする人の多くが、世界を少しでも良くしたいという思いを持っていることが多く、実際に彼らなりの思想で体現しようとしているのですから、こちらは少し悲しくもなります。

批判論者にはもしかしたら、協力隊を称賛したくとも「自分にはできないから」、という嫉妬心が出てくる言葉をネガティブなものにしているのかもしれません。
いずれにしても、そんな人に対しても、協力隊のいい側面や人間味のあるドラマを私はもっと伝えたいし、知って欲しいと思ってしまいます

私は、目に見える活動結果を残すことが全てだとは全く思っていません。
むしろ、可視的な結果にこだわり始めたら(最近はそんな機運が高まっていますが)、協力隊制度の良さがなくなってしまうとさえ思います。
しかし、結果が見えないと、税金の事業としてするには説明がつかず「価値がない事業」と見られてしまいがちです。

ですが、0 or 1の議論では、協力隊制度の本当の意義のようなものは語れないでしょう。
これは、行った隊員にしか言語化できないものです(かく言う私は行ったけどあまり言語化できない)。
緻密に活動のことを言語化し、メディアや新聞、なんでもいいので、その緻密な言葉が織り成す現場感が国民に届く場、というものを設計する必要があると、私は思います。

国民との距離が縮めば、もっと企業や自治体も協力隊への理解を示すようになるでしょう。
そうなれば、隊員が帰国した後の就職活動を今のように心配することも減るかもしれませんし、積極的に隊員になろうとする人も増えるかもしれません。

JICA広報部には頭を捻ってアイデアを動員して欲しいなと部外者ながら私は思います。

同系職種や分野内のつながり

 

ここまで読んでいただいた方には、ここで言いたいことは大方想像できると思います。

ご想像いただいた通り、同じタイミングで活動している似た職種や分野の隊員とのつながりがほぼ無いです。
ここでは、前掲のものと区別して、「国を跨いだつながり」を意味しています。

訓練所では同じ系統の職種の人と語学を学ぶ時間がありましたが、派遣されてからは、つながりは自分たちで継続しない限り無くなってしまいます。

(↑農業分野の隊員の英語の授業の様子)

途上国の行政機構は共通している部分も多いですし、派遣国の気候は同じ熱帯性気候であることが多く、農業系の隊員にとっては共通した問題を共有することができます。
アジアとアフリカでは少し事情が異なるかもしれませんが、同じアジア同士であればかなり有益な情報を交換できるはずです。

同じタイミングで世界各国で活動する隊員同士で情報共有をすることができれば、刺激にもなります。
今ではウェブ会議も簡単にできるので、国を跨いでの情報共有会をもっとしたら良いのになあなんて思うわけです。

任国で行う活動報告会は誰のため?

 

任国では、中間報告会と最終報告会を行わなければいけません。
形態やタイミングは国によって異なるようですが、任国でやらなければいけない義務的なものの一つが、この活動報告です。
そこでは、隊員がカウンターパートと呼ばれる配属先のスタッフと共にそれまでの活動を、調整員やナショナルスタッフに対して行います。発表言語は、現地語か英語ですることが多いです。

私がずっと疑問だったのが、この活動報告は誰のためのものなのかということです。
この活動報告は基本的に誰でもオブザーバー参加できるのですが、他の隊員にとって任地の田舎からJICAオフィスのある首都や発表隊員がいる遠い僻地に移動することは簡単ではないことが多いです。
そのため、他の隊員は活動報告会にほとんど参加しません(特別仲が良い隊員同士であれば発表を聴きに行くということはよくあります)。

ではこの報告会は、誰のためなのでしょう?

調整員のためなのでしょうか?
後輩隊員のためなのでしょうか?
カウンターパートのためなのでしょうか?

活動の整理ができるという意味では隊員のためでしょうか?
それとも、こういう機会を設けないと隊員が活動を怠けると思われているからでしょうか?

ちなみに、任国にいる間に自分の活動報告を他の隊員が聴くということは、年に1or 2回開催される隊員総会や大使館での発表などの特別な機会が与えられない限り無いです。

このような目的不明瞭の報告会を、もっと有効活用する方法がいくらでもあるのでは?と思ってしまいます。
これまで述べてきた、希薄なつながりを濃いものにするためにもっと報告会をオープンな場にするというのも、一つの手になり得るかもしれません。

これから派遣される方へ

 

今回は、「活動をしやすくする」意味での隊員がもつつながりの弱さについて、その制度的な視点から書きました。

これらが希薄だからと言って、協力隊には仲間がたくさんいますので心配なさらないでください。
というより、こういった開けた繋がりが希薄な分、同じ国内で同時期に活動する隊員同士の絆は深まるのだと思います。

とはいっても、孤独感は忘れた頃に襲ってきます。
それも協力隊の醍醐味といえばそんな気もします。

ブログやSNSで発信している隊員を頼りながら、活動頑張ってください!

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