綾町が「有機農業の町」と呼ばれる理由

 

先日、「有機農業の町」として一部の人から有名な宮崎県綾町を訪れ3日間ほど滞在しました。

有機農業に関心を持つ私目線から、綾町がなぜ「有機農業の町」なのかについてまとめておきたいと思います。

高台から眺めた綾町

綾町は「有機農業の町」として知られ、日本でも有機農業が最も盛んな地域の一つとされています。
そう言われる由縁はいくつもありますが、なんと言っても「歴史の長さ」と「町ぐるみの取り組み」が最大の特徴でしょう。

綾町は、1970年代から町として有機農業(当時は「有機農業」という言葉はまだ一般的ではありませんでした)の振興に取り組み始め、日本で最初の有機認証制度を創りました。
綾町は自治体としては日本初の有機認証機関にもなっています。
なんと、日本で「有機農産物」の規格を定める有機JASは、綾町の認証システムを多いに参考にしているそうです!

なぜこの町が「有機農業の町」なのでしょうか、一つひとつ見ていきます。

有機農業への取り組みの歴史が長い

 

はじまりは1960年代に遡ります。

綾町の有機農業は、当時の町長だった郷田實の存在なくしてありません。
郷田町長が有機農業に注目し、力強いリーダーシップを発揮して「有機農業の町」に向かって舵を切りました。

(郷田町長が綾町についてかいた著作はいくつかありますが、その代表作です)

有機農業推進が全面的になされた1970年代当時、日本では農薬や化学肥料が普及し、生産性の低い農業からより大規模に効率重視の農業に変化していました。
農業が、生活としての農業から産業としての農業に変貌を遂げようとしていた頃です。

綾町の有機農業への取組の歴史を見てみましょう。

1967年、国によって綾町の照葉樹林伐採計画が持ち上がります。
当時の綾町は貧しく、産業はほとんど林業しかなかったそうです。
綾町は自然資源に大変恵まれ、背後には今でも日本最大規模の照葉樹林が広がっています。
高度経済成長を背景に増加する住宅ブーム。国は国内市場に綾町の良質な木材や薪炭材を流そうと計画したのです。

これに対して住民は立ち上がりました。
住民反対運動が、今の有機農業の町をつくる契機となりました。

同年、町は伐採反対を表明し農林大臣への直訴等、運動を展開。結果、伐採計画は中止になりました。

もし当時照葉樹林が伐採され、スギやヒノキといった建築材だけ単植されていたら、今の綾町の中心産業である醸造産業も有機農業もなかったはずです。
森がもたらす豊かな地下水が美味しいお酒を作り、豊かな生態系が今の農業を可能とし、綾ブランドの礎になっているからです。
当時の住民が守った森林は2012年に「ユネスコエコパーク」に指定され、地球規模の重要な資源として厳重に保護されることになりました。

1973年「一坪菜園」の普及と行政による野菜種子の配布がはじまります。
「一坪菜園」は、各家庭で自給作物を栽培しようという取り組みです。そして、栽培された野菜を持ち寄って家庭菜園コンクール等の活性化事業も行われました。

1977年、綾町農業指導センターが設置され、「自然生態系農業」の推進が開始されます。
同時に、農業振興会が発足し、中核農家による部会や研修会等が組織され、自立農家の育成に重点が置かれるようになります。

1981年家畜糞尿処理施設を設置。このような取り組みが当時の日本の自治体であったとは驚きです。

1988年「自然生態系農業の推進に関する条例」を制定します。これにより、町ぐるみの自然生態系農業(≠「有機農業」)推進の基礎が作られました。このような条例をもつ地域が日本に他にあるのかはわかりませんが、私は聞いたことがありません。

1989年「綾てづくりほんものセンター」の開設します。
ほんものセンターは今でも地産地消を促進する強力なハブとなっていて、年に1億円以上の売り上げを出しているそうです。
綾町で作られた野菜をはじめ、加工品やお弁当など多種多様な食材が並べられています。

リンク:綾 手づくりほんものセンター

ほんものセンターの野菜は、綾町独自の認証制度によって「自然生態系農作物」として金・銀・銅のラベルで区別され販売されています。

同年、町民組織として有機農業実践振興会が発足します。
ほんものセンターに卸すためには、この会に入会している必要があります。行政側としては、有機農業開発センターが設置され、土壌分析等が自分たちでできるようになります。

有機農業を推進する条例がある

 

綾町は、上で紹介したように日本で最も早くに有機農業推進を町ぐるみで行ってきました。
この、「町ぐるみ」が何を示すか、わかりやすいのが他の自治体には見られない「自然生態系農業の推進に関する条例」です。
(※「自然生態系農業」は、綾町独自の用語です。以下で説明します。)

つまり、町全体として自然生態系農業(有機農業)を推進するという目標が明文化されており、それが30年以上経った今でも引き継がれています。
全国各地を見てみると、独自の信念や考えからユニークな取り組みをする農家さんはたくさんいると思いますが、綾町のように、「自治体として有機農業を推進する」ことを条例として唱えている例は少ないです。

その他には、高畠町越前市豊岡市今治市臼杵市姶良市などで、自治体の条例(または 推進計画)として有機農業推進の方向が示されています
(参照:藤田正雄(NPO 法人有機農業参入促進協議会)

町が定める「自然生態系農業」

 

綾町では「自然生態系農業」と「有機農業」が混在しています。

ご存知の方も多いと思いますが、「有機農産物」や「有機農業」は、法律で細かく基準が決められています。
例えば無農薬・無化学肥料栽培をして収穫した野菜だとしても、それを「有機農産物」と勝手に表示して販売してはいけません。
これは、農産物、畜産物及び加工食品全てに当てはまります。

日本の場合、基準は日本農林規格等に関する法律(JAS法)で定められています。
一般的に「有機」農産物と呼ばれるものはこのJAS規格をクリアし、第三者機関によって認証を得ている農産物です

綾町の場合、このJAS規格ができるよりも以前から「有機農業」という言葉も存在していました。そのため、今では「有機農業」が、JAS規格をパスした農業だけででなく幅広い意味合いで使われています。

そこで、綾町ではJAS有機と区別するためにも、独自に「自然生態系農業」という言葉を用いることがあります。

綾町が定める「自然生態系農業」の基準についてはこちらを参照していただきたいのですが、この制度の私がすごいと思う点は以下のものです。

  1. 綾町独自のブランディングを大事にしている(自治体として農産物に金・銀・銅のランク付を実施)
  2. 認証を得る障壁が格段に低い(生産者に金銭的負担がかからない)
  3. 地産地消の流れがある(手づくりほんものセンターの売り上げは年間1億円以上!)
  4. 「有機JASが認める農薬も使用しない」という意味で「自然生態系農業」にこだわる実践者もいる

 

有機JASは、世界基準で顔の見えない消費者に付加価値作物として提供する意味では利益的ですが、生産者と消費者で信頼関係が構築されていれば必要ないのです。また、JASは登録するのに金銭的負担がかかってきます。

綾町にとって有機農業は目的でなく手段

 

綾町は「有機農業の町」として知られますが、私が滞在し農家さんや行政の方にお話を伺うことを通して、綾町は「有機農業の町」そのものを目指しているのではないと思いました。
綾町が目指すのは、照葉樹林が育む豊かな自然との共生社会なのではないでしょうか。

そうなると、綾町にとって有機農業そのものが目的でははなく、有機農業はまちづくりの一部分にしか過ぎないという位置付けでしょう。

以上の私の考えは、町内の「ユネスコエコパーク」で掲示されていた図をみたときに確信しました。

上の図が示すのは、「奥山」の資源を活用した里地の創生です。
その一つの手段が有機農業というわけです。

「綾町=有機農業」は、正しくないのです。
有機農業を活用したまちづくりが行われているということで、もっと大きな話の中で有機農業を位置付けています。

まとめ(綾町の課題も含めて)

 

以上、綾町が「有機農業の町」と呼ばれる背景についてまとめてきました。
それは、①有機農業への取り組みの歴史が長い、②地域ぐるみの有機農業振興が行われている(=条例がある)
という2点に集約されます。

ですが、今では町が抱える課題も多いようです。

「有機農業の町」を掲げながらも、農家の全体数に占める大くの方は慣行農家です。
有機農業(または自然生態系農業)を実践する人は、全体からすると少数派なのです。
町の経済を実質的に支えているのは、施設園芸農家であるのです。

町として条例はありつつも、結局のところ有機農業で経営的に成功するかどうかは農家個人の力量と頑張りに依存する点も指摘されます。
綾町にも、こうした課題があります。
町として自然生態系農業(または有機農業?)をどう進めていくのか、難しい局面に立たされていると思います。

慣行農法が悪で有機農業が善とする考え方は極端であり、消費者の自分勝手な誤解に基づくものであるとは思いますが、町として今後どう舵取りをしていくのか、注目してみたいと思います。

 

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