はじめに
今回新しくブログを開設することにした。
色々悩みながら結局将来性や安全性、過去にはてなブログ無料版(なぜか突然消えてしまった)を使っていた経験等を踏まえてWordpressを使うことにしたのはいいものの、昨日はここまでの単純なセッティングに14時間を費やした。
バズ部さんが提供している初心者向けの懇切丁寧な説明を一つ一つ辿りながらなんとかここまで形にすることができたが、こだわり続けると終わりが見えない。綺麗に形を整えるのはおいおいしていくとして、テスト投稿も兼ねてこの記事を執筆している。
詳しい自己紹介は後々専用の記事ですることにし、今回はなぜこのブログを開設しようと思うに至ったのかについて簡単に触れたい。これがもしかしたら自分のこれからのコンパスにもなるかもしれないし、もしくは方向性が変わって振り返った時に思い出す「あの頃の初心」になるかもしれない。
今の気持ちを残しておく。
私は25歳のなんの変哲も無い大学院生だ。本当は来月までに形にしなければいけない修士論文に追われ、こんな新しいことに手をつけている暇はないはずであるが(実際そうである)、多動で飽きやすい自分は同時平行で何かしていた方が全体のパファーマンスは上がると、自分を納得させている。
私がこのブログを開設しようと思った理由を述べるためにはやはり自分の生い立ちを少しだけ紹介しなければならないことに今気がついた。が、ここでは簡単に。
これまで
私は大学院に進学して専攻を変え、東南アジアの農業や農村開発について学び始めた。学部の頃は環境科学を学んだ。大学院にはすでに3年在籍しているが、まだ2年生。
今年の9月まで国際協力機構(JICA)が実施している青年海外協力隊事業(現在はJICA協力隊と名前が変わった)に参加し、フィリピンのパナイ島という島の半山間地域の田舎で有機農業の普及活動をしていた。私は山梨県の専業有機農家の長男である。
ところで、私のように専業有機農家で育った日本人が、全国で一体何人いるだろうか。特別な条件が整わない限り「農業で子育てをするのは難しい」と言われ離農に歯止めが効かない日本で、私のような環境で育った若者は全国に数える程度しかいないと思う。
ありがたいことに、この若いうちにフィリピンという所謂途上国で有機農業の普及に携わる機会を得た。私は専門家でもなんでもない。父親と妹との幼少期からの農作業から得た経験とカンだけでフィリピン国に入った訳である。現地で何をして何を与えられ教えられたのかということもこれから文字化していきたいが、私に最も印象づけたのが東南アジア途上国の農村が置かれた人為的に生まれる混沌とした現場と、私にはあまり楽観視できない未来だった。
協力隊から帰国する前、私は普通に就職活動をすることを考えていた。協力隊の経験もあるし、それなりに日本では認められている大学院で学んでいる(協力隊に行っていた時間が長いためしっかり「学術的に学んだ」とは言えないかもしれないが)ので、あまり高みを目指しすぎなければ思う通りの分野の方には進めるのではないかと考えていた。興味があった分野はマスコミや国際協力分野である。
そんな未来を描いて帰国した私に突然、ブータンで有機農業の普及に関わる話が舞い込んできた。悩んだが、教授が提案してくれた自分には勿体無いくらいの条件と、自分としてもまたフィリピンで感じたワクワクを今度はもっとしっかり整った環境で追求できることに興奮を覚え、家族と話し合い、もう3年間学生を続けることにした。直近3年間の未来が、全く思い描いていなかったものになった。これにより、来年から自分には少なくとも近未来には縁がないと思っていた「博士課程」に進学しブータンの過度に過疎化が進む農村の地域活性化事業に携わるすることになった。
ここでまた話は変わるが、私は農家育ちということが影響し、環境問題についても関心がある。関心がある程度でしっかり実証的に勉強したのは学部時代の大学の授業だけである。私が日本を離れている間、日本は多くの「想定外の」「30年に一度の」「100年に一度の」大雨や台風、それが連鎖する形で洪水をもたらした。私が帰国して間も無く、先日の令和元年台風19号が関東甲信東北地方を襲い、もたらした死者約88名、行方不明者7名という数字は今後の歴史に間違いなく残るだろう。しかし、これからこのような規模の災害は間違いなく増える。それどころか一つ一つの災害規模の拡大もほぼ間違いないと予想されている。帰国してみるといつのまにかこれまで学部で学んでいた「気候変動」が「気候危機」になっていた。
世界は動き出した
2015年12月に採択されたパリ協定で、いよいよ世界が(アメリカは2017年に脱退したが)地球温暖化への対策に一丸となる方向にようやく向かい始めた。パリ協定で定められた目標は決して十分なものとは言えないが、世界が一歩を踏み出したのは間違いないだろう。この国際的な取り決めの発効により、これからは環境への配慮が足りない国や企業は世界からバッシングを受けることになる。
そんな中、日本はG7諸国の中で唯一石炭火力発電を推進していたり、企業への規制も全く進んでいなかったり、国内の温室効果ガスの排出量の大部分は企業やエネルギー部門から出ているのにも関わらず、全体の数%しか占めていない各家庭からの排出削減に頼ってきたりと、対応が後手に回るどころか世界と逆行さえしているように見える。
また、先日行われた気候サミットで演説をしたグレタ・トゥンベリさんへの日本のネット社会の大人たちの冷ややかな視線は、今まさに世界で立ち上がろうとしている若者たちとの対立と断絶を生むとも感じさせた。YouTubeの彼女の演説には「グレタがグレタ」などのコメント。ツイッターでは列車の中で贅沢な食事をする彼女を揶揄するようなツイートが拡散されていた。私はあのスピーチに感動し、またどこかで無力な自分には何もできないからと無視を続けていた問題にしっかり向き合おうと思わされた(個人レベルでは、マイボトルを持ち歩いたり、移動の際はなるべく自転車に乗ったり、洗濯物の回数を減らしたり、などの、できる範囲の小さいことは気をつけてはいる)。同時に私自身ももしかしたら日本の大人世代との間に断絶を生んでいる一人なのではないかと思わされた。
ところで、世界各国の行動指針のルールになる持続可能な開発目標(SDGs)では、「誰一人取り残さない」、持続可能で多様性と包括性のある社会を目指すとされている。「誰一人取り残さない社会」。現実性に欠けた綺麗事のようにも聞こえる。こんなことできるのだろうか。世界はむしろ格差と断絶を広める方向に進んでいるのではないだろうか。先進国と途上国、田舎と都会、エリートと貧困層、若者と高齢者。しかし、私はまだ何もわかっていない若造なりに、世界が目指す方向はSDGsの方向で間違っていないと思う。これ以上にない指針だと思う。複雑性を増しこれまでにない数々の問題が混在している世界ではまさにお互いを認め合い、多様性を認め、手を差し伸べ合う姿勢が求められているはずではないだろうか。これは、気候危機への世界のあるべき取り組み姿勢とも言える。
このブログの使い方
私の関心は、農業と気候危機、そして開発(国際協力)である。これらは全て概念的にも問題の関係性も有機的に結びついているし、ある意味問題の根源は似通っているような気もする。そして同時に、世界に広く共通している非常に厄介な問題たちという共通点がある。私は日本で数少ない農家育ちの20代として、かつ学び続ける学生として、もうしばらくこれらの問題について考え、世の中の毎日忙しくあまり調べたり考えたりする余裕がない方々に、等身大で、誇張せずに伝えていけたらと思った。
このブログでは、幼少期からの農業者、高校時代から学費の心配をし続けた専業農家の父子家庭で育った日本人として、また、途上国の開発をその場に身を投じながら実践レベルで学ぶ一学生として、そしてこれからの社会を担う小さな若者の視点から、フィリピンやこれから行く予定のブータンで感じた、または感じるだろう様々なこと、それとピュアな事実経験を文字化して伝えていきたい。その中で、研究者と自称するには程遠いが修士課程の学生という立場として、事実と感想の区別ははっきりさせたい。
環境問題については、まずは実情を知ることが第一歩だと思う。この問題は非常に厄介で、「重力があるから今目の前でりんごが落ちた」というようにはいかない。原因と結果を必ずしも説明できるものでもないし、問題の範囲がこれまでのどんな世界問題よりも広い。問題が時々災害や大雨、猛暑などとしてわかりやすいように現れるだけで、数日経つと平和に戻った気になる。そこで、このブログでは海外メディアで毎日のように取り上げられる環境問題についてシェアし、私も読者の方と考えていきたい。
それと、時には旅や学生生活のこと、思いつきや趣味についても発信していくつもりである。
ブログ全体で一貫して心がけたいのは、①独りよがりな問題提起にらないように問題について考える姿勢を絶やさないこと、②エビデンス又は経験に基づいたことを伝えること、そして、③小学生から大人までに伝わるような平易な言葉で表現すること、である。発信を自分に課すことで、私自身も問題意識を持ち続け、調べる姿勢を身に付けたい。究極的には人のためというより自分のためこのブログを使う。収益化を考えるかどうかは今は決めていない。三日坊主を繰り返す自分としては、記事を書き続けられる保証もないので何かしらのインセンティブも用意しないといけないかもしれない。
まとめ
このブログは、この本来忙しい時に、「自分はもしかしたら発信しなければいけないのかもしれない」という根拠のない、非常に身勝手な気持ちに働きかけられ衝動的に始まった。
どこまで続けられるかわからないが、もし続けられなかった場合は、未来の自分が今の自分を見て「ほらな、またか」と失笑しているだろう。そうならないように頑張りたい。
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